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東京地方裁判所 平成7年(ワ)2922号 判決

原告

伊藤美子

第一事件被告

望月直哉

ほか一名

第二事件被告

望月徹之助

主文

一  第二事件被告望月徹之助は、原告に対し、金一四四九万五四四九円及びこれに対する平成四年七月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の、第一事件被告望月直哉及び同望月洋子に対する請求並びに第二事件被告望月徹之助に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用のうち、第一事件について生じた部分は原告の負担とし、第二事件について生じた部分は、これを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を第二事件被告望月徹之助の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

1  第一事件

第一事件被告望月直哉(以下「被告望月直哉」という。)及び同望月洋子(以下「被告望月洋子」という。)は、原告に対し、各自金一五九一万一七一七円及びこれに対する平成四年七月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  第二事件

第二事件被告望月徹之助(以下「被告望月徹之助」という。)は、原告に対し、金一五九一万一七一七円及びこれに対する平成四年七月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  争いがない事実及び容易に認められる事実

1  原告は、平成四年七月三一日午後七時ころ、東京都文京区小日向四丁目五番付近の歩道を茗荷谷駅方面から小石川方面に向かい歩行中、同歩道を反対方面から走行して来た被告望月徹之助運転の自転車(以下「自転車」という。)と擦れ違う際、自転車のハンドルが原告のシヨルダーバツグ肩ひもに引つ掛かり、そのため原告が転倒した(以下「本件事故」という。)。

2  原告は、本件事故により、右大腿骨頭頸部骨折の傷害を負い、平成四年七月三一日から同年九月一五日までの四七日間、同年一〇月一日から同月三一日までの三一日間、東京都立大塚病院に入院し、平成四年一〇月五日、人工骨頭置換手術を受け、平成四年一一月九日から平成五年三月一五日までの間に六日通院した(甲第六号証、第九号証)。

3  原告は、本件事故当時、財団法人勤労者福祉振興財団臨時職員であると共に主婦であつた(甲第九号証、原告の本人調書六項)。

被告望月直哉及び被告望月洋子は、被告望月徹之助の親であり、本件事故当時未成年者であつた被告望月徹之助の親権者として、同人を指導・監督すべき義務があつた。

二  争点

1  原告の主張

(一) 被告望月直哉及び被告望月洋子の責任について

被告望月直哉及び被告望月洋子は、本件事故の現場が、本件事故の発生時刻ころ、歩行者が多数いることを知つていたのであるから、自転車が歩行者の持ち物と接触することにより同人を転倒させて傷害を負わせないために、被告望月徹之助の親権者として、同人に対し、本件事故の発生時刻ころに本件事故の現場で自転車を運転する際、自転車の運転に注意を払い、場合によつては自転車を降りて手押しするように具体的指導・監督をして事故の発生を未然に防止すべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、被告望月徹之助に自転車の運転を任せきつた。そのため本件事故が起きた。

したがつて、被告望月直哉及び被告望月洋子は民法七〇九条の責任を負う。

(二) 被告望月徹之助の責任について

被告望月徹之助は、歩行者がいる歩道を自転車で走行する際、自転車が歩行者の持ち物等と接触などして同人を転倒させて傷害を負わせないために、自転車の運転に注意を払い、場合によつては自転車を降りて手押しすべき注意義務があつたにもかかわらず、これを怠り、自転車を運転したことにより本件事故を起こした。

したがつて、被告望月徹之助は民法七〇九条の責任を負う。

2  被告らの主張

(一) 被告望月直哉及び被告望月洋子の責任について

被告望月直哉及び被告望月洋子は、被告望月徹之助を十分に指導・監督しており、同人には注意義務違反はない。

(二) 被告望月徹之助の責任について

(1) 被告望月徹之助は、本件事故の現場がやや人通りの多いこと、自転車を運転する際、スピードを出せば他人に傷害を負わせる可能性があることを認識していたから、他人に衝突する危険が迫つた場合にもすぐに停止できるように歩く速度よりやや速い速度で自転車を運転した。

また、被告望月徹之助は、自転車のハンドルが原告のシヨルダーバツク肩ひもに引つ掛かること、原告が右肩ひもを強く引つ張ることを予見できなかつた。

したがつて、被告望月徹之助に過失はない。

(2) 原告が右大腿骨頭頸部骨折の傷害を負つたのは、原告が、本件事故当時、第五腰椎すべり症、第一二胸椎圧迫骨折等の既往症があり、また、骨粗鬆症に罹患していたからである。しかしながら、被告望月徹之助は右既往症等を予見できなかつたから、同人に過失がない。

(三) 債務免除について

被告望月徹之助が入院中の原告を見舞つた際、東京労働基準局庶務課労働事務官小林勝が、被告望月徹之助に対し、労災が下りやすくなるので逃げたことにしてくれと言つて名刺を渡し、原告もそのことを是認した。

これは、原告が被告望月徹之助に対し、本件事故の損害賠償債務を免除する意思表示をしたものである。

(四) 原告の素因について

原告が右大腿骨頭頸部骨折の傷害を負つたのは、原告が、本件事故当時、第五腰椎すべり症、第一二胸椎圧迫骨折等の既往症があり、また、骨粗鬆症に罹患していたからである。

したがつて、損害賠償額の算定に当たつては、原告の右素因を斟酌し、八割の減額をすべきである。

第三当裁判所の判断

一  被告望月直哉及び被告望月洋子の責任について

自転車は、速度等の点からして、車両に比べ危険性が極めて低いものである上に、被告望月徹之助が、本件事故当時、一七歳であり、自転車の運転に慣れていた(被告望月徹之助の本人調書一項、一九項、二二項)のであるから、被告望月徹之助が歩行者が多数いる歩道を自転車を運転する場合であつても、被告望月直哉及び被告望月洋子には、被告望月徹之助に対し、自転車の運転方法等につき具体的指導・監督をすべき注意義務まではないというべきである。

したがつて、被告望月直哉及び被告望月洋子に過失はなく、原告の主張(前記第二の二1(一))は失当である。

二  被告望月徹之助の責任について

1  自転車が走行していた歩道は、本件事故当時、丸ノ内線の茗荷谷駅で下車して帰る人で混んでいたため、自転車がやつと通れるほどであり、自転車のスピードを出せない程度であつた(被告望月徹之助の本人調書七項、二五項、四三項から四五項まで)から、被告望月徹之助は、自転車が歩行者の持ち物等と接触などして同人を転倒させて傷害を負わせることを予見できた。

そのため、被告望月徹之助には、そのようなことが起きないように、自転車の運転に注意を払い、場合によつては自転車を降りて手押しすべき注意義務があつたというべきである(このことは、本件事故が起きた歩道で、自転車の運転が認められていたとしても同様である。)。それにもかかわらず、被告望月徹之助は、右注意義務を怠り、自転車を運転したことにより本件事故を起こし、原告に右大腿骨頭頸部骨折の傷害を負わせたものであるから、被告望月徹之助には過失がある。

したがつて、原告の主張(前記第二の二1(二))は理由があり、被告望月徹之助は民法七〇九条の責任を負う。

2  ところで、自転車の速度は人が歩くより少し速いくらいであつた(被告望月徹之助の本人調書一六項、二三項、二四項)が、被告望月徹之助は、自転車のハンドルが原告のシヨルダーバツクの肩ひもに引つ掛かつたことさえ気が付いていなかつた(被告望月徹之助の本人調書八項、一二項、二六項、二七項、四〇項、四一項、四九項)のであるから、注意義務を尽くしていなかつたと認められる。

また、自転車のハンドルが原告のシヨルダーバツクの肩ひもに引つ掛かることが予見できたことは前記1で述べたとおりであり、原告が右肩ひもを強く引つ張つたことを裏付ける証拠はない。

したがつて、被告らの主張(前記第二の二2(二)(1))は失当である。

3  そして、予見の対象は、自転車が歩行者の持ち物等と接触などして同人を転倒させて傷害を負わせることであつて、原告が、本件事故当時、第五腰椎すべり症、第一二胸椎圧迫骨折等の既往症があり、また、骨粗鬆症に罹患していたことは含まれないから、被告らの主張(前記第二の二2(二)(2))は失当である。

三  債務の免除について

被告望月徹之助が入院中の原告を見舞つた際、東京労働基準局庶務課労働事務官小林勝が、被告望月徹之助に対し、労災が下りやすくなるので逃げたことにしてくれと言つて名刺を渡したことは認められる(乙第二号証、被告望月徹之助の本人調書三七項から三九項まで、弁論の全趣旨)が、このことから、原告が、被告望月徹之助に対し、本件事故に係る損害賠償債務を免除する意思表示をしたとまではいえない。

したがつて、被告の主張(前記第二の二2(三))は失当である。

四  原告の素因について

1  平成四年九月におけるレントゲン写真によると、原告の大腿骨にはⅢ度からⅣ度(シンの分類による。)の骨粗鬆症が、腰椎にはⅠ度からⅡ度(シンの分類による。)の骨粗鬆症が、第一二胸椎には圧迫骨折がある。

また、血清アルカリフオスフアターゼの数値が上昇すると骨粗鬆症といい得るところ、平成四年一〇月一日における同人の右数値は三一七と高い。

そして、糖尿病に長く罹患していると骨粗鬆症になりやすいところ、原告は昭和六一年から糖尿病に罹患している。

さらに、DIP検査の数値が二・三以下であると骨粗鬆症として要精密検査と判定されるところ、平成五年九月九日の右測定値が二・二五(骨粗鬆症と診断されている。)、平成七年八月三日の右数値が二・二四となつている。(以上、甲第一〇号証の一・二、乙第一号証、被告望月直哉の平成七年一二月二〇日付け本人調書一頁から一五頁まで)。

2  しかしながら、骨粗鬆症は骨の老化現象であり六〇歳以上の女性に多いところ、平成七年八月三日のDIP検査の数値二・二四というのは、女性である原告の年齢(平成七年八月三日において六四歳)の平均値の範囲内にある(甲第一〇号証の一・二、被告望月直哉の、平成七年一〇月二五日付け本人調書二三項から二七項まで、平成七年一二月二〇日付け本人調書一〇頁から二三頁まで)。

3  そうすると、原告は、本件事故当時、骨粗鬆症であつても、その程度は年齢相当であつたから、仮に、原告に対する加害行為と原告の罹患していた骨粗鬆症が共に原因となつて右大腿骨頭頸部骨折になつたとしても、右骨粗鬆症の程度に照らし、加害者に損害を賠償させるのが公平を失するとはいえず、損害賠償の額を定めるに当たり、民法七二二条二項の過失相殺の規定を類推適用して、原告の骨粗鬆症を斟酌することはできない。

したがつて、被告らの主張(前記第二の二2(四))は失当である。

なお、右変形性股関節症は本件事故の傷害によるものであり、第五腰椎すべり症、第一二胸椎圧迫骨折等の既往症が、原告の損害を拡大したことを裏付ける証拠はない(被告望月直哉の平成七年一二月二〇日付け本人調書三頁・四頁)。

五  原告の損害について

原告の本件事故による損害は、次のとおりである。

1  入院雑費 九万三六〇〇円

入院雑費は、一日当たり一二〇〇円が相当であり、入院日数は合計七八日間である(前記第二の一2)から、九万三六〇〇円である。

2  入院付添費 三九万円

入院付添いは原告が受けた右大腿骨頭頸部骨折という傷害からして必要性が認められ、その額は、一日当たり五〇〇〇円が相当であり、入院日数は合計七八日間である(前記第二の一2)から、三九万円である。

3  休業損害 六三万二六一二円

原告は、本件事故当時、財団法人勤労者福祉振興財団臨時職員であると共に主婦であつた(前記第二の一3)。したがつて、休業損害を算定する際の収入は賃金センサスによることになる。

そして、平成三年度賃金センサス女子学歴計・年齢計の年収額は二九六万〇三〇〇円であり、入院日数が合計七八日であるから、休業損害は、次の数式のとおり、六三万二六一二円となる(なお、通院期間中、勤務先から給与の支払がなかつたこと、あるいは、家事に従事できなかつたことを裏付ける証拠はない。)。

2,960,300×78/365=632,612

4  後遺障害による逸失利益 六七六万一三八四円

原告は、本件事故により右大腿骨頭頸部骨折の傷害を負い、人工骨頭置換手術を受けた(前記第二の一2)から、その後遺障害は後遺障害別等級表の第八級七号(一下肢の三大関節中の一関節の用を廃したもの)に該当し、その労働能力喪失率は四五パーセントとなる。

そして、症状固定日は右人工骨頭置換手術が行われた平成四年一〇月五日である(前記第二の一2)ところ、原告の生年月日が昭和六年一月二二日である(甲第六号証)から、右症状固定日の原告の年齢は六一歳であり、就労可能年限六七歳までの六年間に相当するライプニツツ係数は五・〇七五六となる。

また、後遺障害による逸失利益を算定する際の収入が賃金センサスによること、平成三年度賃金センサス女子学歴計・年齢計の年収額が二九六万〇三〇〇円であることは前記3で述べたとおりである。

したがつて、後遺障害による逸失利益は、次の数式のとおり、六七六万一三八四円となる。

2,960,300×0.45×5.756=6,761,384

5  慰謝料 八二五万八〇〇〇円

慰謝料は、入通院慰謝料及び後遺症慰謝料の合計八二五万八〇〇〇円となる。

(一) 入通院慰謝料

入通院慰謝料は、入院日数が合計七八日間、実通院日数が六日間である(前記第二の一2)から、一二五万八〇〇〇円となる。

(二) 後遺症慰謝料

後遺症慰謝料は、原告の後遺障害が後遺障害別等級表の第八級七号に該当することからすれば、七〇〇万円を下回らない。

6  合計 一三一九万五四四九円

前記1から5までの合計一六一三万五五九六円から、二九四万〇一四七円(労災から支給された、休業給付六五万七〇三〇円、障害給付二二八万三一一七円の合計。甲第九号証四頁、五頁参照)を控除すると、合計は一三一九万五四四九円となる。

7  弁護士費用

本件における認容額、訴訟の経過等を斟酌すると弁護士費用は一三〇万円が相当である。

8  損害合計 一四四九万五四四九円

前記6の一三一九万五四四九円に、前記7の一三〇万円を加算した金額である。

五  結論

よつて、原告の請求は、被告望月徹之助に対し、金一四四九万五四四九円及びこれに対する平成四年七月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は理由がないからいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、仮執行の免脱宣言については相当でないから付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判官 栗原洋三)

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